悩みの始まりには、きまって”心の反応”がある
”求める心”が輪廻の洪水ー満たされなさの繰り返しを作っている
求めても満たされるとは限らないのが心である
怒りは求める心が作り出している
人が悩んでしまう理由の一つは、【判断しすぎる心】にある
判断する心には、わかった気になれる気持ちよさと、自分は正しいと思える快楽がある
人が苦しみを感じる時その心には必ず「執着」がある
①求めるものを得たいという執着(だがかなわない)
②手にしたものがいつまでも続くようにという執着(やがて必ず失われる)
③苦痛となっている物事をなくしたいという執着
「判断」「決めつけ」「思い込み」「一方的な期待・要求」は執着の一種
執着すれば、その一点が大きく見える。その【一点】が【人生の全て】にさえ、見えてくるもの
判断は妄想の一種である
いくら無理をしても目標をクリアしても自信はつかない。なぜなら思考の始まり(出発点)が「自分はまだまだ」「自分には能力がない」という【ネガティブな妄想】だから。
心の半分を前に、もう半分を後ろに使う
過去を思い出して、「記憶」に反応して新しい怒りを生んでいる
心が無常なら、人も当然、無常
心というのは、何かに触れれば必ず反応するもの
人は「まだ手に入れていない何か」を追いかけている途中で人生を終える。つまり、「求める心」に殉じる人生を送る。
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